ケアンズ→クヌヌラ→ホールズクリーク→ブルーム

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又まっつぐなHwyだ  町、村、集落を外れればオーストラリアではこれが現実。
ビクトリアリバーを過ぎティンバークリーク辺りから、このような木が目立つ、ボトルツリーだ。正式名は忘れたが南アフリカにもあるとか、むかーし昔は地続きなのか。
   クヌヌラの手前でステアリングホイールを左に切る、ここは東経129度 西オーストラリアに入る。
    
オードリバーダム(アーガイル湖)はシドニー湾の7倍の貯水量とあるが、実際の所俺にはドデカイ湖に見えただけ。
キンバリー地方、西豪州主要園芸作物生産地に、良質な水を供給している。

    オードリバーダムよりHwyに戻りクヌヌラを貫け、キンバリー
高原をかじってみる事にした。
山肌は赤紫色している、時おり園芸従事者と思しき車と出
会う、放牧されているのか野生化したのか、山羊と牛の群
が見られるそのなかの1頭 俺 目がけて駆け寄ってくるこ
んなのに体当たりされたらたまったもんじゃねー、
 一瞬ひるんだ  どーしよー 
大写しできる近さで、牛殿は急停止そして固まった。
   
 
  不覚にもここでタイヤバス、10cm切れ込みが入ってしまった。   こっからは  予備タイヤなし
  

         このアリ塚の場所は不明。
   
Hwyに出てキンバリ高原とグレートサンディ砂漠の間をひたすら走る。
  
   100kmは出ている、夕方だというのに陽が沈まない それもその筈太陽とおっかけっこしているんだ 気がついたら
    いつしかグレートノーザンHwy。
 
ホールズクリーク辺りからは無毛地帯、遠くに冷たそうに見える山があるだけ、枯れ草が風に飛ばされている今までとは
違う光景だ 端っこではあるが砂漠だ。
今夜はオーストラリアで言う砂漠でのキャンプと相成った Hwyを外れスタックせぬ様方向を見失わん様数キロ進む、
枯れ枝の多そうな場所で停めた。
 所要用に真っ先に穴を掘る、何故か夕闇迫る頃 今迄吹いていた風がやむ、すかさずディナーの準備。
準備たって余分な水あらへん、やおら飯ごうに2食分米を入れ少量水を注ぎ蓋をし飯ごうを持ちランダムに数十秒振るこ
れを3回繰返す、無論とぎ汁を流す時飯ごうのとってを持ち左右の手をここで交互に洗う。
火をたき飯ごうをセット 隣でフライパンに卵とハム 調味料適度にいい匂いだ。
アルミ箔にご飯を盛り付けそれらをのせキャベツを加える。まっじーわけねー うっめーよ 、空にやー満天の星空、今宵見
渡す限りのこの地俺のもんや。大地に寝袋を眠りにつく。

光に目が覚める 昨日の残り一食分のご飯を温め、適量のコンビーフとキャベツを食し、そしてお茶を 
  俺のバァーさんが口癖のように言っていた。  (状況はともかく出立前はお茶を飲みなさい) 俺・・・?
 昨日掘った所要用の穴を埋めHwyへ.
 
  緑も多くボトルツリーも目立つ、砂漠は貫けたようだ。  ジルホースツリー内側が空洞になっていて入れます。
 
ダービーに到着 内陸を走りつづけた何十日ぶりの海か、しかもここは湾内と言えどもその外はインド洋だ。
 
                                         海岸にいたのはこの人たちだけ。



降り注ぐサンシャインと見渡す限り、紺碧のインド洋 時を忘れかけた。
 われに返り本日の予定地ブルーム目指す 日本人に会える日本語が通じる、心は逸りついアクセルを踏み込みすぎてしまう。
  
前方に砂埃が、よくよく見れば木の葉が渦をなしている
大きなつむじ風だ 俺の前を横切った。
さあーブルーム
 キャサリンを発ちキャンプを何日繰返したろうか
 体中が汗と埃でグチャグチャや、早くシャワー浴びたい。

 キャンプとは聞こえはいいが 野宿。

 タイヤも直さんとなー うまくいくかな。 切れ込み部分に
内側から厚めのキャンバス地をあてがい チューブ交換、
100km走行耐えられるかな スペアに徹すべし。  
      我が家設営 15分で完成なれたもんだ。  後 シャワー浴び
       ドレスアップ(パンツとTシャツ、バミューダを替えるだけ)をし 街へ


 日本人が真珠生産に従事
  していました 共同作業場の玄関。
   日本人の墓地、数百はあっただろうか、名もしっかりと刻んであった。   
    0000 19歳 昭和6年3月29日 鹿児島出身など
 
ここで真珠生産に従事するご年配に会う  よー ここまで来たなー 4日後にパースより生鮮食料品が到着するゆっくり
 してきなはれ   ご年配の話が延々とつづく。
先輩様の多々な困難ご苦労、不慮の事故等々を乗り越え私達に引き継がれた。今は規模を縮小してはいるが、真珠
生産を誇りに思い後輩に引き継がねばならん。
そんなご長老、俺に捕れたての魚、刺身だ食ってゆけ、それからもう一つ食っていけとか持ってゆけ、貝に付いたままの
   
半真珠(ハンジュ)をお土産に。今も俺の酒棚で輝いている。  
赤い大地白い砂浜、その先は澄みきった青い海
   思わず辺りを見渡し すっぽんぽん どぼ〜ん。


少女がとれたとか魚
とか叫びながら走り去る。



俺も小粒ながら貝を獲り
海水で茹でた 
右はキューカンバの輪切り。
真珠生産に従事する俺と同年代、名は忘れてしまったが
ブルーム滞在中、一方ならぬお世話を頂きました。
予定ではまだ半ば先は長い大自然も多いが危険もそれ以上に多い、
 気いつけてなー。 
今までも守っている様だが夜間の運転はせぬように、カンガルーはヘッドランプめがけて飛び出してくる、車 大破もありえる夜間運転は禁物、クロス ナラボーなど頼れるのは自分だけと思わなければならない  そう言って彼は見送ってくれた。