秩父山田の春まつり
                           07.03.11                                     

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多々羅大橋より来島海峡大橋、カズラ橋、大歩危.小歩危へとつづく。

    

一晩ご厄介になった土生漁港の宿を後にしまなみ海道を四国へ。
     

大三島と生口島に架かる 橋長1.480m 支柱間890m世界一の斜張橋です。

 斜張橋とつり橋の相違

ケーブルの張力利用は共に同じ、大きな相違点としては斜張橋は塔と桁がケーブルで直結、つり橋は塔の間に主ケーブルを渡しそっからロープを垂らし桁を吊る。
 伯方島方面                          大三島                        多々羅大橋




第一第二第三と連なる 全長4.105mのつり橋。
潮流は時には10ノットに及ぶ日本有数の急潮の一つ、ここは海上交通の要でもある、船舶の行き来多し。




左画像の右手が大島、その反対側に村上武吉が水軍を統治せし頃の居城地 能島がある。
 
来島第三大橋ケーブル解説               
 

時間の都合で伯方島に寄れなかったがここで伯方の塩が手に入った。

 先を急ごう、今治ICで西瀬戸自動車道(しまなみ海道)に別れを告げ案内板どおり進み、いよ小松より松山自動車道へ、そっからステアリングホイールを北へ切った。右には四国山地 左には瀬戸内燧灘が見え隠れ 風光明媚な高速道だ。川之江追分を右折、高知自動車道に入る  登り下り、隋道も橋も多し四国の山並みを北から南に縦貫する高速道だ、大豊ICで下りR32へ目指すは西祖谷村のかずら橋。
     
しばらくJR土讃線沿いに走る、程なく右折し曲がりくねっ
た峠道をすすむ 見えたー かずら橋の駐車場。
  途中、茅葺屋根の門と言うべきだろうか行く手にこんな建造物がありました。
                   ボンネットバスも走ってたが残念ながら撮り逃がす。
  
    

左画像上は車止めからの祖谷川に架かる祖谷渓谷大橋。
腹減ったーおそいお昼と相成った、ここでの名物祖谷ソバ
でいこう。太く短い、具は見てのとおり、麺は
シコシコ感たっぷり、ツユは一見薄味風に見えたが
小生の舌にマッチ。


腹越しらいは終わった向かうはかずら橋。

祖谷渓谷大橋を渡り、暗い階段を行くと渡り口が、太い
柱にカズラを巻き付けつり橋を留めていた。
3年に一度架け替えするそうです、又 ここ西祖谷山村は
古くから平家伝説が多く伝えられている。源氏に敗れた
平家落人達がいつかは都へを夢見ここに住んだ、又
いつ来るか分らん追っ手から逃れる為にいつでも
切り落とせるカズラで編んだ橋を作った。
足を踏み出す毎にゆらり フワリフワリ、手すりを利用せねば進めん 風雨が強かったなら如何なものか。  



一歩又一歩踏み外さんように
ようやく半分、横板の間からは下がよーくみえまーす。
 
               かずら橋
 どうやら渡りきったようですなー。


カズラ橋から程なくの 所に平家伝説 びわの滝。




落武者にお会いした後今日の宿、鳴門へ向かう。

    
  びわの滝解説


R32に戻ると大歩危小歩危の看板、小生ボケないよう日々
努めてはいるんだが、このオオボケコボケの看板なんた
ることや。
歩危(ほけと読み上につづく場合ボケと読む)オオボケ
コボケ。山腹等の険しい地形を指します、ここでは谷底
に落ち込むような断崖絶壁と流れの美しさが見もの。





遊覧船も出ている、川面から見上げるのもいいかもしれん。



R192及び徳島自動車道で鳴門の旅籠に、街の店じまい
は早い、到着早々旅籠で聞いた味道筋へお銚子殿も加わり
反省会、祖谷峡を垣間見ただけだ。温泉にも浸かり剣山
の麓、祖谷川の源流にも行ってみたい平家伝説をもっと
訪ねてみたい。西祖谷山村を2.3日かけてゆっくり撮影
したいもんだ。




陸送中の早駕籠、ETCは付いとるんだがカーナビ
とやらがない。陸送前小生の携帯電話、電池が一日
もたない事もしばし、これを機に某社カーナビ搭載の機種
に変更、使い勝手は今一やが度々お助け頂いた。