紅葉とアレコレ 2012.11.23 |
早駕籠からはこれでも東京かと想われる眺めが続く、前 |
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橋を渡った所に日帰り温泉が、ドラム缶でヤマメの塩焼き |
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そこここで見かけるソバだが ソバだ 物言わんまんま食したワサビ醤油のサシミコンニャク これまたいけるー |
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お嬢様に ゴッサン 小生流に礼を申し述べ辺りを一回り 、雨こそ落ちて来ないが寒むー つり場は一組だけ釣り糸 を垂れている、そんな今日なれどモミジさんは元気いっぱ い鮮やかな色合いを奏でていた。 |
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早駕籠を柳沢峠(1472m)へ操った木々は枝ばかり、しかし気になっていた雪、凍結なしYディングロードを快適に早駕 |
柳沢峠からの下りはヘアーピンカーブもあったが道幅もあり快適だ、 裂石へ下りると黄葉が眼に入る大菩薩峠への看板通りに、見落として しまそうな交差点だ辛うじて左折しかし舗装こそしてあるが今までと は裏腹に幅狭くうっそうとしている、 |
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カーナビさんにお尋ね申した 県道201号線に間違いござらぬ進むべしと帰って来た、雲峰寺を左に見て登坂開始曲 がりくねった細々とした道が続く、道脇には落ち葉が重なり合っている幅広な所もあるが時折来る対向車には路肩を 注意せねばならん。標高1600m紅葉とは程遠い地だが 上日川峠を登りつめた駐車場は想っておったほど車は多く ない、だけんどシーズン中はいかがなもんか。 |
ロッジ長兵衛は食事もとれ宿泊設備も整っていた、冬季を除いて甲斐大和より日に数本バスが運行されている、眼下には裂石の山並みが見え大木にヤドリギさんが絡まっていた。 |
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ロッジ脇から大菩薩峠への登山道が | |
ザックにニット帽にそれなりの靴を履いてはいるがショートパンツに生足いやカラフルなタイツ、二人の山ガールを 含んだ男女6人のパーテーが小生の視界から消えて行く。小生、中学生の頃登山部に所属し大菩薩を登りつめた当時 車はここまで入れない裂石からはだらつく坂を歩くしかなかった、今では車でここに来られ人それぞれやが大菩薩峠 を攻めるのそれ程苦ではない、がここかしこにガタが来てしまった小生 野心はあるが無理は禁物、連れ合いがこの ルートなら可能ではと言い寄る。 |
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こんな看板もあるが平坦な1k の自然観察歩道 行ってみっか。 |
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幕末の頃幼い孫娘を連れた老巡礼はここでで沢井村の剣豪机竜之介 に何の因果か意味無く斬殺された、その後竜之介は村を棄て旅立つ が先々で世間と裏腹な行動も多々いつしか狙われる身となってしま う・・・。 |
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誘われるまんま歩を進めた、カラ松が多い何か大きめな鳥さんが飛び去るがファインダー覗く間もなかった、木々の間から大菩薩湖が見えて来た。 | |
やがて展望広場にしかーし富士のお山もこれでは、どんより空 雨こそ降ってこない 良しとすっか、段差のない木道をもどり 早駕籠を操り上日川峠を後にした。 |
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県道218号線を日川沿いに下るアクセルを程々にしていれば幅広く苦はない、路面に米粒大の白いもんが眼につき始 めたどことなく濡れた路面は夜間凍るのであろう凍結防止剤だ。 |
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上日川ダムに立ち寄る事にした、サプライズを密かに 大菩薩湖にとっかかった辺りで右折し富士見のロケ地 を探した結果はやはり無念に尽きた。 |
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なーるほどそーかいな いかにも納得したかの如く一人肯いた。 2枚の図が見難いようだ ご容赦 |
218号線は冬季部分閉鎖と記してあった更に下ると甲州市木賊(トクサ)にここら辺りは天目山だなー、色変わりし た木々が現れ始める。戦国の武将 武田勝頼は仲間の寝返りで退路を断たれてしまった背後からは信長家康連合軍 が迫って来る、逃げ場を失った勝頼はこれまでと嫡男信勝と数々の苦労を乗り越え勝頼を信じついて来た正室北条 夫人と共にこの地で自害、1582年3月11日甲斐武田家は滅びる。 |
そんな事を想いつつ早駕籠を操ったR20に出て道の駅甲斐大和へ、物産コーナーを覗いた長ネギと玉コンニャク、 それにここでも嗜好品を購入 一息入れ甲州街道を一路あばら家へ。 |